このページの内容はMOONSTRUCK PRODUCTIONのオフィシャルサイトで、 掲載されている日記の一部をD.D氏のご厚意により再掲載させていただいたものです。 D.D氏にこの場をお借りしまして深く感謝いたします。 |
1999.12.26(sun) の日記(注:MOONSTRUCK PRODUCTIONのサイトで D.D氏が書かれている日記のことです)で RCサクセション(最近「ロック君が代」で物議をかもし出した 忌野清志郎/いまわのきよしろうさんのバンド)の事を 書いていたら、またつながりで面白いエピソードを思 いだしたので書く。 実はあのヒロさんと組んで取材した後、忌野清志郎さんとギターのチャボさんから 「あの連中の取材は二度と受けない」 と言われるほど怒らせたことが 口の軽いRCの事務所の女性PRマンから判明。(笑) その頃既にRCは武道館でライブを開けるほど有名になってきたところで、 また異様に無口でインタビューにならない清志郎さんにはプレスも気を使っていたのに、 私たちはインタビュー中に、あんまり「いえ」だとか「そう」しか言わない 清志郎さんに 「子供たちをひっぱっていっている責任はないのか?」 「そんなの自分たちの勝手?責任とれない?そりゃあんまり無責任じゃないですか?」 とか結構辛らつな事を流れでばしばし言ってしまったのである。 (おかげでいい原稿とれて、RCにもメリットになったと キティの人は言ってくれたんだけどな) でも「うわ、やばー、怒らせちゃったー」と 苦々しい 気持ちになってしまっていた。
その2~3月後、アメリカからリック・デリンジャーという有名な 大御所ミュージシャンが、元チープ・トリックのベースのトム・ピーターソンや エリック・カルメン、 カーマイン・アピスなどの日本で人気のある ミュージ シャンと混成バンドを編成し武道館でコンサートをやる事になった。 その時、私のNY在住の友人 (アメリカであのピンク・ レディーのツアー・マネージャーを やっていたケイティという女性)から手紙が来て 「仲良しの友人のリズが今度だんなさんの リック・デリンジャーと日本に行く。 会いにいけ」 みたいな事を書いてよこしてきた。 リズ・デリンジャーと言えばアメリカでも有名なライターだ。 私は「もちろんチャンスがあれば会いたい」という返事を出した。 すると、たまたま仲良しだった「子供ばんど」のうじきつよし (現在はあの俳優のうじきさんです)さんが (私達は 「うじきくん」と呼んでいたが、考えてみたら向こうが 年上だった) 「ねえねえ、リック・デリンジャー来日するねえ。 どっかで対談させてくれないかなあ。すごいファンなんだリックの」と言う。 子供ばんどの代表曲の中にはリックの「ロックンロール・ フーチークー」 を日本語でカバーした曲もあるほどのりック・ファンなのだ。 私はケイティーの手紙のことを話し「リックに会えるようにがんばってみる」 と答えた。(実はその時は私もうじきくんも半信半疑) するとリック一行が来日した日に、私の会社にリック自身から私に電話があった。 うちの会社には英語堪能な国際部というセクションがあって、 たまたまそこで仲の良かったタック(よねもちたかあき米持孝秋・現在は Air Pavillionというバンドでアメリカ・デビューを最近果たす)が 留守の私の代わりに電話を受けてくれていて 「へい、リックから電話じゃん、俺すごい興奮しちゃったよ!」と。 この時23才だったタックはギタリストでもありリックに憧れていたのだ。 リックからの伝言は 「ケイティーに日本に行ったら電話しろと言われたから電話した。 今日だったら夕方は代々木のスタジオでリハやっているから 終わり頃の7時だったら会える」だった。 ひえーーーーーーーーーーーーーーーーーー、だ。 やっぱ。 天下のリックから直に電話もらっちゃった!! それに何と奇遇な、その日はメジャーになった子供ばんどが 最後に ライブ・ハウスでライブをやる「ラスト・ライヴハウス・ツアー」で、 しかもその最終日で7時から原宿クロコダ イルでライヴがあったのだ。 思わず「タックー、助けてくれ~~~」と米持に泣きつく。 実は私はその時英語がほとんど話せなかったのだ。 ただでさえいい加減なのに何年も しゃべっていなかったので 聞き取りの方は即死状態。 私はタックに 「リックに会いにいく。それでできればリックを 子供ばんどのライブにつれていきたい」と頼んだ。 タックは大喜びで 「うわっ、サイコー!! 俺会社早退して自宅から車と リックにサインしてもらうための俺のギターもってくる」 と帰宅してしまった。(笑) なんてサイコーな奴。 代々木に7時に行くとリハは終了していた。 プロモーターである「音楽舎」のスタッフにも顔が効く タックのおかげで私達はすんなりとリックに会うことができた。 タックが通訳に入り、嫁さんのリズとリックに 「ハウドゥユド ゥー」の挨拶(笑)。 予定を聞くと8時から六本木で食事会があるが それまでは自由だと言う。 何と、好都合な! 私達は 「実は日本のバンドですごいイカしたバンドが これからここから近い原宿でライブを演る。 リックの大ファンなんだ。一緒に見に行 かないか」 と誘う。 リックは「行こう」と言ってくれて、何と奥様の リズとトム・ ピーターソンまでくることになった。 スタジオから原宿クロコダイルに電話を入れる。 子供ばんどのマネージャーの「はっち」(女性です)を呼び出して、 「今からリックを連れていくから」 というと、はっちも相当驚いて、 表はファンが溢れている、裏口に回ってと指示。 私達がクロコダイルに行くとはっちが 路上で待機していてくれていた。 早々に引き合わせ、すぐに裏口から入る。 ライヴは既に始まっていたが、私達はステージのま横で見学した。 熱唱していたジック(うじきくんの愛唱)がリックに気付いた。 その時うじきくんが突然 「子供ばんどのロックンロールフー チークー」 を演奏して超満員(売り出した瞬間にソールドアウトだっから)の 会場は乗りに乗りまくり。 演奏を終えた後、うじきくんが 「信じられない、リックだ!」 とマイクで叫んだとたん会場はとんでもない怒濤の嵐。 リックはすごく気をよくしたかと思うと、おもむろにステージに降りて、 うじきくんからギターを略奪、ついでにトムもステ ージにおりて ベーシストの湯川トーベンからベースを略奪、 (当時チープ・トリックは日本ですごい人気でトムが出たとたん ものすごい黄色い歓声が響き渡った)、 そして本物の 「ロックン ロールフーチークー」 を演奏し始めたのだ。 わああああ!!! と私もタックも誰もが鳥肌立つほどの興奮でどよめく。 すると、客席の一番後ろから一人の男の人が、 ぎゅうぎゅう詰めのファン子たちを蹴散らし、 背中を踏み越えるように(ほんまよ)、弾丸のように一番前に飛びだしてきた。 もう興奮して吠えてる。 RCサクセションのチャボさんだった。(笑・やっとここで冒頭 とつながった) もうみんな興奮のるつぼ。
リックは演奏し終わると 「最高だよ、楽しい!」と叫んで退場した。
時間がなかったので私達はそのままリックたちを六本木の中華料理店に 連れて行き、一旦クロコダイルに戻ってからリックたちのホテルに行く約束をした。 クロコダイルに行くと、まだライブはやっていて、私とタックは楽屋に行った。 すると、チャボさんが私の長年の悪友のギタリストの 小川銀次 (RC初期のギタリスト)という奴と一緒に狭い楽屋にいた。 銀次が私を「昔からの友人だ」と紹介し、チャボさんが握手を求 めてきた。 「すごいですねー、リック連れてきたんですね。 おかげですごくいい経験させてもらいました」 と、 まあご丁寧におっしゃってくださる。 チャボさんってもとから感じのいい人なんだけど、 私もにこにこして気付いているかな、と思いつつ、 「どうも」と、お互いに先の取材の件は一切ふれずに談笑。(笑) やっと私もほっとした。
ライブ直後の子供ばんど。毎回客とともに完全燃焼。写真左からTANIHEI,JICK,TOBEN,YU pic:D.D
まあ、その後は私とタックはホテルでエリック・カルメンにも 紹介してもらい、一生に一度のヒジョーに 感動的な一夜を終えたのでした。 リックのロックンロールフーチークーを クロコダイルで聴ける なんてそれこそ「夢の饗宴」であった。 そうそう、その後、アメリカに渡った子供ばんどは リックにアルバムをプロデュースしてもらっている。 そして子供ばんどが渡米する際に必要とされる身元引受人は、 一昨日の日記に登場したカメラマンのヒロ伊藤さんが、 アメリカの大御所バンド「メン・アット・ワーク」のメンバーに 頼んで引 き受けてもらったのである。 ヒロさんを子供ばんどに紹介してあげたのは 私だったことからマネージャーのはっちにも だいぶ感謝されたが、私は 本当に子供ばんどが大好きだった ので役に立てて純粋に嬉しかっただけだ。
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